常識を打ち破り、女王は再び笑う
「最年少記録って二度と作れないけど、最年長記録って作れますよね、またね」。2021年に開催された東京2020パラリンピック競技大会。50歳で2種目の金メダルを獲得し、「日本人選手過去最高齢の金メダル獲得」「日本自転車史上初の同一大会2冠」を成し遂げた杉浦佳子(すぎうら・けいこ)は、そう言って軽やかに笑った。
2017年UCIロードワールドカップ(ベルギー)での鮮烈なデビュー以来、並み居る強豪を抑え瞬く間に表舞台に躍り出た杉浦。何が彼女を世界の頂点へ押し上げたのか。これまでの挑戦を紐解くと、意外な原動力が見えてきた。
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絶望の淵で見た一筋の光
パラサイクリング競技の中でも、四肢の切断や機能障がいの選手が競う「クラスC(Cycling)」。常にハイレベルな戦いが繰り広げられる同クラスで、今や世界屈指の存在となった杉浦は、それまで薬局に勤務しながら子育てに励み、プライベートではフルマラソンやトライアスロンに取り組んで充実した日々を送っていた。
転機となったのは2016年、次なる挑戦として出場したロードレースの大会で、他の選手と接触し勢いよく地面に叩きつけられた。下り坂で加速していた影響もあり、脳挫傷、外傷性くも膜下出血、三半規管の損傷、頭蓋骨や右肩の複雑骨折……155cmの小さな体は数多の傷を負い生死を彷徨った。
その衝撃から、杉浦には今も当時の記憶がない。
「気が付いた時には寝たきりで、脳細胞が壊れてほとんど会話もできませんでした。しばらくして医師から『もう今までのような生活はできない』と言われショックを受けたことは覚えているんですが、それも全部断片的で。ただ、高い橋の上に立って『ここから落ちたら死ねる』と思った時、すごくきれいな花が咲いていたことを覚えているんです。あの時、私、死ぬことを考えていたんでしょうね」。
さらに、高次脳機能障がいの後遺症によって文字が読めず、記憶も10分程度しか持たない。椅子やコップのイラストを見せられても名前が出てこず、薬剤師時代に熟知していたはずの認知症テストもほとんど解けない。「私、なんで分からないんだろう?」と困惑するばかりだった。
しかし、そんな杉浦を家族や友人、職場の仲間たちは献身的に支えた。たくさんの励ましや応援メッセージが寄せられ、薬剤師仲間からは毎日のように「薬名クイズ」が届いた。穴埋めになった問題を1問ずつ解いてつなげると「がんばれ」という言葉になる。杉浦を慕う周囲の存在が、彼女の生きる意欲を呼び起こした。
「私、事故で記憶を失ったはずなのに、自転車に乗る楽しさや薬剤師として働く喜び、感情の記憶だけはちゃんとあって『自分を待ってくれる人がいるなら頑張ろう。絶対あの場所に戻りたい!』と思いました」。
傷だらけの体で必死にリハビリに励み、人生の断片をつなぎ合わせるように少しずつ自らを取り戻していった。
医学の範疇を超えた奇跡の復活劇
その後、杉浦とパラサイクリングが出会ったのは、決して偶然ではない。リハビリの一環としてエアロバイクに乗り始めると、それまで乗っていた自転車の感覚が蘇り、徐々に競技への意欲が芽生えてきた。
「実は事故直後、医師から『もう薬剤師として働くのは無理だ』と言われたのに、リハビリに励むうち『これなら職場復帰できる』と診断が覆ったんです。ならば、自転車だってまた乗れるんじゃないかという気がしてきて」。
毎日夢中でペダルを漕ぐ中、不思議と日本パラサイクリング連盟との縁が生まれ、導かれるままに2017年UCIロードワールドカップ(ベルギー)に出場。初めての世界大会で3位入賞を果たした。
「最初、ケガが回復し自分は健常者に戻ったと思っていたので、パラスポーツに出場するつもりはなかったんですが、レースに出てみると1位、2位の選手のスピードに圧倒されてしまって。『障がい者ってすごい! 自分も頑張ればあんな風に走れるんだ』と希望を感じました」。
これを機に杉浦は、パラサイクリストとして踏み出すことを決意した。
ただ、この一連の復活劇は、決して医師の診断が誤っていたわけではない。たしかに杉浦のように脳に障がいを抱えた人の場合、頭部を動かさずに血流を改善できるエアロバイクは優れたリハビリメニューになる。「ペダルを漕ぐことで、『第二の心臓』と呼ばれるふくらはぎの筋肉が使われ、全身の血行が良くなります。その結果、脳に酸素が行き渡り、まだ使っていない細胞を活性化させることができるのです」。
とは言え、誰もが杉浦ほど回復できるかと言えば、そうではない。現在でも、杉浦のCT画像を見て「なぜ50歳を超え、こんな体の状態で試合に出られるのか?」と首をかしげる医師は少なくなく、珍しい回復事例として医学会にも提出されている。やはり彼女の強い意志が、医学の常識を越える驚異的な回復を手繰りよせたと思わずにはいられない。
金メダルがもたらした本当の喜び
杉浦を語る上で欠かせないのが、何と言っても2021年の東京2020パラリンピック競技大会だ。この時、すでにメダル候補と注目され、自身でもメダル獲得を絶対条件にしていた。
だが、実際に競技が始まると想像以上に他国の選手のスピードが上がり、先に行われたトラック競技では惜しくも表彰台入りを逃してしまった。残すはロード競技の2種目。窮地に立たされた杉浦は「このまま手ぶらで帰るわけにはいかない!」と覚悟を決め、スタートから勢いよく飛び出し、スピードに乗ったまま見事な走路を描いて見せた。
レースについて杉浦は、こう振り返る。「ゴールの向こうには栄光が待っていると聞いていたので、自分はただ栄光に向かって走ろうと全力疾走しました」。
結果はロードタイムトライアル、ロードレースで2個の金メダルを獲得。誰もなし得なかった「日本人選手過去最高齢の金メダル獲得」「日本自転車史上初の同一大会2冠」によって、「女王・杉浦」の名を世界中に轟かせた。自身やチームのメンバーはもちろんのこと、日本中が歓喜に沸くニュースとなった。
この経験は、彼女の考えに大きな影響を及ぼした。「私、事故以来ずっと、こんな自分が生きていていいのか悩んでいたのですが、メダル獲得を機に知らない方から『感動しました』『勇気をもらいました』と言っていただき、自分にも何かできることがあるんじゃないかと思えるようになりました」。
杉浦の根底には常に「誰かの役に立ちたい」という思考がある。その思いで薬剤師になったものの、事故を機にケガを負い、逆に周囲の助けがないと生きていけない体になった。そんな自分をずっと後ろめたく感じていたのだろう。金メダル獲得は、杉浦自身が障がいを受け入れ、新たな生きる意味を見つけた瞬間だった。
不安を集中に変え限界突破する
アスリートにとって頂点を極めることは大きな喜びだが、それを維持するのは並大抵なことではない。世界中の強豪が「打倒! 女王・杉浦」を掲げて挑んでくる。今年53歳を迎えた身で最前線に立ち続けることが、いかに苦しく厳しいことか、杉浦は誰よりも知っている。
実は東京2020パラリンピック競技大会以降、体調が優れず葛藤する日々が続いた。練習しようにもウォーミングアップで疲弊してしまい、長時間のメニューに耐えられない。一度、調子の良い日に自己ベストを出したことがあるが、逆に「このタイムを維持できるのか。落ちる一方なのでは……」と言いようのない不安に襲われた。
そしてある日、ついに「辞めたい」という感情が芽生え、コーチやトレーナーに相談したと言う。「あの時は、もう無理だと思いました」と当時を振り返る。
そんな杉浦に、コーチ陣が返したのは「やるべきことをやりなさい」という言葉。漠然としているから不安が募るのであって、言葉にして書き出せば今自分がやるべきことが明確になり、不安を集中力に変えることができる。
そこで、まず体調管理を徹底するため、杉浦は日々の起床時間、食事の内容、入浴時間とその温度、就寝時間など、細かなデータを全てノートに書き出した。また睡眠の質を向上させるため就寝時間から逆算して太陽を浴びるなど、練習以外の時間の過ごし方にも細心の注意を払うようになった。
もちろん、杉浦一人ではない。コーチ陣も日々の練習による体の疲れを数値化し、過去のデータと照らし合わせながら、今何をすべきか? どのタイミングにピークを持ってくればいいか? 緻密な計算の元、日々練習メニューを組んでサポートしている。
その様子を如実に物語るのがモチベーション管理だ。誰しも、タイムが伸びている時期は練習に励むが、頭打ちになるとテンションが下がってしまう。杉浦のメニューには、そうならないよう、常にその日の目標と、それによってどこの筋肉にどんな効果が得られるか。また達成できなかった場合、なぜできなかったのか、どう改善すれば達成できるのか、細かな部分までしっかりと記載されている。
「いつも『頑張ればできるかも』と可能性を示唆してくれるので、私はとにかくそれを信じて、メニューを一つひとつクリアすることに徹しています」と杉浦も絶対的な信頼を置いており、いかにコーチ陣と二人三脚で歩んでいるかが分かる。
“本場のマカロン”が意味するものとは
目前に控えたパリパラリンピック。ロード競技のイメージが強い杉浦だが、今回狙うのはトラック競技だ。その理由は「まだ一度も決勝に行ったことがないので、パリでメダルを獲ってトラック競技のコーチにかけてあげたい」。杉浦によるとメダルはチームみんなで獲ったもの。「獲得した喜びを共に分かち合いたい」と言う。
ここで杉浦に「なぜ、そこまで果敢に挑戦し続けるのか?」と質問すると、「東京のパラリンピックの時、1位でゴールした瞬間、会場の人たちが本当に喜んで迎えてくれたんです。もう一度あの景色を見てみたくて」という答えが返ってきた。
そして、さらなる野望を語る。「みんなに喜んでもらえる結果が出せたら、パリでマカロンを買って練習場の『伊豆ベロドローム』で一緒に食べたい。きっと円安でめちゃくちゃ高いだろうけど、でも、あえて本場のマカロン。関わってくれた人、みんなに買って帰りたい」。
世界に挑戦し続ける杉浦を突き動かすのは、いつも自分以外の存在だ。「誰かのために」と思う気持ちが大きなエネルギーとなって背中を押してくれる。
この利他の精神について尋ねると、「誰だってそういう気持ちを持っているものじゃないですか? 自分一人のためだったら絶対ここまで頑張れないですよ!」と強く言い切った。
杉浦は理解しているのだ。ここに至るまで、どれだけの人が支えてくれたかということを。
自分の可能性を信じて応援してくれる人たちがいる。その気持ちに応えたいと思うからこそ、どんな困難にも挑戦できる。自転車の前輪と後輪が連鎖し車体が前へ前へ進むように、それらが相互に作用することで、杉浦自身もさらにパリへと加速していく。誰よりも速く、どこまでも積極的に。常識を覆し、東京を超える新たな自分を見つけに行く。
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